[第4回蘇州最新経済リポート]
第十四次五か年計画と2035年遠景目標


著者:上場 大

もくじ 

1.「六穏」・「六保」蘇州の成果

2.新たな過剰生産問題の出現

3.蘇州市の第十四次五か年計画~蘇州はどう変わる?


はじめに

 3月5日、北京で第13期全国人民代表大会第4回会議(以下全人代)が開幕しました。李克強首相が政府工作報告を行い、併せて、今年から始まる第十四次五か年計画の内容が討議・可決されました。また、長期発展戦略とも言える2035年遠景目標も発表されています。15年後の中国を見据え、いまからなにをなすべきかについて基本的な考え方と、具体的な施策をまとめたものです。15年後と言えば、中国の人口が減少に転じる時期と重なっています。本格的な高齢化時代を控え、社会福祉など民生の充実が大きな課題になることを強く意識したためだと思います。様々な経済社会に関する見通しの中で、最も確実なものの一つが、人口予測です。

 政府工作報告の中で2020年を振り返るにあたって李克強首相は「極不平凡」という言葉を使いました。とても普通とは言えない1年間、というニュアンスの言葉です。また「殊為不易」という言葉も使われました。とりわけ難しい一年間だったことが伺われます。一年が終わってみれば、経済はV字回復し、新型コロナ流行もほぼ抑え込まれ、いわば結果オーライだったわけですが、行政トップにしてみれば気の休まる間など全くなかったのだろうと思います。特に、経済成長率はプラスとなったものの、消費の足元はまだ盤石とはいえません。雇用もコロナ禍による摩擦的失業の拡大が完全に解消したわけではありません。特に、年々増える大卒者の雇用確保、2億人を超える農民工への安定した就業機会や職業訓練の提供など、消費と雇用に関わる課題への取組は一層重要になっていると言えます。

第十四次五か年計画目標(新華社)

 今年から始まる第十四次五か年計画は、上記のような消費拡大、雇用確保に加え、高齢化の進行に伴う医療や福祉サービスの拡充といった民生関連の課題を強く意識した内容になっていると思います。また、今回の五か年計画では、経済成長率の数値目標が明示されていません。2021年については「6%以上」という非常に保守的なものとなっていますが、五か年計画では「合理的な範囲のものとし、各年公表する」とされています。ポストコロナの世界経済が見通しにくいという事情もあるかと思いますが、それ以上に、成長率の目標数値を達成するよりも、むしろ中身の方が重要だという政府のメッセージと解すべきと思います。数値目標に拘ると必ず「辻褄合わせ」が起こるというこれまでの経験を踏まえたものなのかもしれません。

 環境や産業面についてみると、政府は、2060年までにカーボンニュートラルを実現すると世界に公約しました。中国では、すでに効率の悪い石炭火力発電所、製鉄所、電炉、セメント工場などが相次いで閉鎖されています。その一方、原子力発電や、風力発電などの再生可能エネルギーへの投資も積極的に行われています。しかし、経済成長が続くなか、メインのエネルギー源である石炭への依存度は高止まりしており、これが減少に転じるのは2030年以降と言われています。エネルギー源を石炭などの炭化水素資源に依存する中国にとって、これは非常に大きな挑戦といえます。また「自立・自強」の掛け声のもとに、技術力の強化と、そのための基礎研究の充実も謳われています。これについては、研究開発費を年間7%拡大するという目安が設定されました。研究開発を促進するための投資が重要であることは言うまでもありませんが、更に重要なのは、実際にそれを行う人材の育成と確保です。中国の主要都市では、優秀な人材を確保するための熾烈な競争が行われています。企業側が高い給与をオファーするだけでなく、市政府が住宅の無償提供、あるいは都市戸籍の提供といった優遇策を講じ、優秀な人材の獲得に躍起です。その意味、人材を引き付ける「都市力」がますます重要になっているのは言うまでもありません。

 非常に興味深いのは、今次五か年計画における技術力の向上という目標実現の一つの手段として、「匠」、「匠精神」という言葉が使われていることです。数年前、李克強首相は、中国の製造業がボールペンの極小ボールやネジを作る技術をもっていないと嘆いたことがあります。中国の製造業は組み合わせ技術こそ優れているものの、擦り合わせ技術はまだ日本の特に中小企業の技術水準に至っていないと言われています。製造業の現場の従業員に「匠精神」を培養しようという試みは、日中産業交流において新たな切り口を提供するのではないかと期待しています。

1 「六穏」・「六保」蘇州の成果

 今次五か年計画と2035年遠景目標の基本となっているのが、「六穏」・「六保」政策です。「穏」は安定を意味します。就業、金融、外資、貿易、投資、予測の六つの分野での安定を目指し、そのために雇用、民生、事業主、食糧、サプライチェーンという五つの事象を保持するというものです。「出る杭には群がる」傾向が強い中国では、何事においても過熱し、バブル化する傾向があります。これを抑制し、安定した成長と質の向上を実現するのが目的です。中国のやり方は、まず骨太の方針を出し、そのための財政、金融、法制面での枠組みを整備し、個別の運用を各地方政府に任せ、随時に中央による指導を実施し、PDCAを回すというものです。

 蘇州市統計局は2月25日、2020年の「六穏」・「六保」の成果を公表しました。新規雇用は2019年比2.8万人増加し、20.1万人となりました。失業率が高止まり傾向を見せるなか、蘇州市の登録ベース失業率は、1.77%であり、前年に比べ0.07%低下しました。中国全体の失業率が5%を超えていることから見れば、大きな成果であると言えます。年間可処分所得は初めて7万元台に達しました。農村部の可処分所得は6.9%増加し、37,563元となりました。金融面では、預金・貸出がバランスよく拡大しています。外資の進出や新規事業立ち上げ件数は、活発さを維持しています。これらの成果は、いずれも江蘇省内でトップレベルのものとなっています。

蘇州市「六穏」・「六保」の成果(蘇州市統計局)

 新規事業登録件数の増加が大きい理由は、行政手続きの簡素化が急ピッチで進んでいるためと思われます。新たに事業を起こす場合、営業許可証を取得しなければなりませんが、そのためには、事業所の住所を届けるだけでなく、当該事業所が確実に存在し、その使用権あるいは所有権を保有していることを証明する各種の証明書や契約書を提出しなければならず、はなはだ煩雑でした。これが、事業所の住所情報を申告するだけで簡単に営業許可証を取得できるようになっています。中国の各種行政手続きについては、李克強首相は「お前の母親がお前の母親であることを証明せよ」という屋上屋を重ねるような煩雑でばかげた手続きが横行していると批判してから、インターネット申請の普及もあって、ずいぶんと改善されてきましたが、蘇州で行われている事業登記手続きの簡素化は、事業者の負担とストレスを大きく軽減するものとして歓迎されているようです。

 環境面保護の面での成果も着実に上がっています。蘇州市の空気質は、江蘇省の中で最も良いと言われていますが、今年の1月、市の1平方キロあたり降下煤塵量は0.9トンと過去最低の水準となりました。蘇州市の降下煤塵量は、2017年で3.8トンでした。これが2020年には1.8トンに低下しましたが、1月には更に半減したことになります。また、PM2.5も、2017年は1立方メートルあたり42マイクログラムでしたが、2020年には33マイクログラムまで減少しました。蘇州市は、この数年、集中的に大気汚染防止に取り組みました。立ち上げたプロジェクト数は2万件と江蘇省内でも最大規模です。特に大気汚染の大きな原因の一つである石炭炊きボイラーは、市政府の指導により撤去されましたが、この数は累計4,400基に上ります。これにより粉塵の排出量は2.6万トン減少したとのことです。エネルギー源もよりクリーンな天然ガスに転換されています。ひところの北京ほどではないにせよ、冬場ともなれば、市内は大気汚染により霞がかかったような状態になりますが、徐々に冬の澄んだ青空が戻りつつあります。

 新たな過剰生産問題の出現

 2021年は中国NEV(新エネルギー車)元年になると言われています。大都市部の公共輸送機関は今年から一斉に電動車に切り替わりました。EVの売れ行きも好調です。EVと言えば昨年上海に組み立て工場をオープンしたテスラが中国市場で断トツの売上を維持してきましたが。昨年後半から、民族系メーカーの猛追が始まっています。安徽省の合肥に本社を置く蔚来(NIO)と広西省の柳州に本社を置く上海通用五菱汽車の躍進が目立ちます。蔚来は、昨年秋、70kwhという高容量のバッテリーを搭載した高級NEVのET7を発売しました。一回の充電で千キロの走行が可能な電動車です。価格は44万元とテスラを上回りますが、自動運転機能も備えていることや、個体電池を使用するなど、最新の技術を盛り込んだ高級車として注目されています。ET7の前のモデルES6は昨年2.8万台の売り上げでしたが、ET7はこれを上回る売り上げとなりそうです。このおかげで、創業以来赤字が続いていた蔚来は、昨年第四四半期、ようやく黒字に転換しました。爆発的に売れているのは宏光ミニです。二人乗りのコンパクトカーで、最高時速は100㎞、一回あたりの充電で120㎞の走行ができ、充電時間は6.5時間となんの変哲もないEVですが、価格が日本円で50万円を切るという破格の安さが大人気となり、販売初年の昨年1年間で13万台近くを売上、テスラの売上約14万台に肉薄しました。そして、1月の売上は、2.6万台とテスラの1.4万台を抜き去りました。中国の昨年のNEV販売台数は111.8万台でしたが、今年に入って売れ行きは加速しており、1-2月で25.2万台と通年で200万台に迫る勢いです。

江蘇省の自動車産業稼働率の推移(江蘇省発展改革委員会)

 勢いに乗るNEV産業ですが、江蘇省の発展改革委員会は、3月に「自動車産業の投資に関わる監督管理の強化とリスク防止に関する通知」を発布し、省内の自動車産業に対し、過度の投資による過剰生産を抑制するよう求めました。発展改革委員会は、自動車産業への省内の投資が過熱しつつあり、その結果、20万台もの過剰生産能力が発生していること、その結果、自動車産業の稼働率が大きく落ち込む傾向を見せていると警告しています。稼働率は2016年で78%でしたが、それが2020年には33%まで低下しました。作っても売れない工場が続出していると言うイメージです。業界としての稼働率低下は、おそらくは、NEV製造事業への新規参入の増加によるものでしょう。中国全体で見れば、高い稼働率を維持しているのは年産60万台以上の生産能力を持つ工場であり、5万台未満に至っては7.5%という惨めな状況にあります。

中国自動車産業売上規模別稼働率(乗用車市場信息聯席会)

 過剰な生産能力が問題になっているのはNEVだけではないようです。半導体業界も似たような状態にあると言われています。2018年に前トランプ政権が打ち出した中国向け半導体供給制限措置を機に、中国では、国産半導体の開発ブームが巻き起こりました。2020年時点で中国の半導体開発製造関連事業者数は6.65万社に上ると言われています。そのうち15%に相当する9,718社が江蘇省に立地しています。これは国内第二位です。江蘇省の半導体生産量は、昨年で834.9億個。中国内の生産シェアは32%とトップを走っています。しかし、中にはまともな技術も持たずに徒手空拳で参入した事業者もあって、全国ですでに10社が倒産しています。そのうち5社が江蘇省内の事業者だということです。

 江蘇省と省内のリーディング都市である蘇州市にとって、こうした過剰生産能力の問題は、安定した発展の足を引っ張りかねません。政府主導による業界の整理が今後加速するものと予想されます。

3 蘇州市の第十四次五か年計画~蘇州はどう変わる?

 3月1日、蘇州市政府は、冒頭ご紹介した国の計画を元に、市としての十四五を発表しました。まず、2035年遠景目標として掲げられたのが「強富美高」の四文字です。競争力のある強い産業・経済、豊かな市民生活、美しい環境、高い安全性を具備した都市建設です。これに基づく十四五は、基本的に国の計画に沿ったものですが、更に細かな目標や方向性が示されています。まず、経済・産業について見ると、成長率は6%前後と設定されていますが、中身の高度化が鮮明に示されています。バイオや新素材それにIT関連としった高度新技術産業の工業生産に占める比率を55%まで高めること、デジタル経済関連産業の比率を市のGDPの30%まで拡大すること、そのために、研究開発投資を市のGDP比率4%という非常に高い水準に設定するという意欲的なものとなっています。これを推進するのが華為蘇州技術研究院、中国移動蘇州研究院、中国移動5G 研究社区、謄訊蘇州デジタル産業基地、中国電信産業園マイクロソフトアジア工程院、上海交通大学蘇州AI研究院という錚々たる企業群です。そればかりでなく、歴史と文化の都市である蘇州を感じさせるのが、文化産業のGDP比率を10.5%にするというもので、技術開発や生産一辺倒のものではありません。

蘇州市の第十四次五か年計画(蘇州市政府)

 次に、民生の充実が、国の計画レベルを大きく超えたものとなっています。例えば健康寿命について、国の目標は77.3歳から1年程度伸ばすというものですが、蘇州市は平均寿命84歳を目標としています。そのために、人口千人あたりの医師(補助も含む)数を3.85人に拡大し、中国の都市部最小行政単位である社区すべてにおいて高齢者介護・支援サービス施設を設置することになっています。労働年齢人口の教育期間も、国の11.3年を上回る12.4年です。失業率も3%以下と、これも国の目標を下回っています。民生充実の対象は高齢者ばかりではありません。幼稚園の質をさらに改善し、該当年齢の幼児の入園率を90%まで高めるという目標も設定されました。人口千人あたりの託児数も4.5人と国の目標を超えています。

 第三に、何よりも蘇州市民を喜ばせたのが、空港建設かもしれません。江蘇省では、すでに10か所の空港が運営されていますが、省内随一の都市である蘇州にはありませんでした。言い方はあまり良くないですが、蘇州から見れば「格下」の常州や連雲に空港があるのに、なぜ蘇州にはないのかと、市民は歯噛みしていたのではないかと想像します。空港建設に伴い、これと接続する鉄道、高速道路の整備も計画されています。空港建設は、それに関連するインフラ整備の投資と相俟って相当な経済効果を発揮するはずです。また、国際色豊かな蘇州進出企業の駐在員にとっても朗報でしょう。空港建設により、蘇州と主要国との関係がさらに緊密になり、人や知識の交流が一層活発化することが期待されます。

江蘇省内の空港(百度百科)
おわりに

 今次の五か年計画から思うのは、中国の政策は囲碁に似ているということです。盤面を睨みながら、構想を練り、一手一手布石を打ち、あるべき姿の実現にアプローチしてゆくというやり方は、いかにも中国ならではのものです。特筆すべきは、長期的な視野です。冒頭でも触れましたが、人口統計は嘘をつきませんし、長期的に経済を見通すうえでは不可欠のものです。新型コロナの流行によって、政府が改めて認識したのは民生ではないでしょうか。勤労者に職を提供し、高齢者には安心を与え、市民の安全を守るという、政府の国民に対する基本的な義務を着実に実行しようという意図を強く感じています。就業促進のために教育を充実させるというのは、いささか迂遠ですが、不可欠の事業です。製造業の現場には、まだまだ教育レベルの低い従業員がおり、品質管理の重要性をなかなか理解してもらえません。

 設備と技術を外から導入し、あとは材料を揃えれば一丁上がりというかつての製造業の在り方は姿を消しつつあるように見えます。本稿で触れた「匠精神」はかなりのスピードで中国に浸透しているようです。ネット通販の淘宝では、「匠」の技を謳ったフライパンや鍋が数多く販売されており、商品紹介の写真には、藍染めの作務衣を着たモデルが、日本風の「職人技」をアピールしています。「この道一筋」の老境に入った日本人研究者も登場するようになりました。中国では密かに、卵掛けご飯がブームになっていますが、ネット通販では、美味しい卵の開発に打ち込んで60年と謳った高齢の日本人研究者が登場し、商品の販促に一役買っています。勿論、「やらせ」や「パクリ」は後を絶ちません。しかし、そうした中で、一生懸命モノを作ることを高く評価する風潮が徐々に芽生えているのではないかと思います。

 日本では新型コロナ流行がなかなか終息せず、首都圏の一都三県の非常事態宣言が2週間延長されました。またその中で、デジタル化の遅れや医療制度の問題など、様々な構造的問題も炙り出されています。経済回復の兆候がまだ見えない中、多くの人々が先行きに不安を抱え、自信を失っているのではないかと思います。そうした中、今次五か年計画で「匠の精神」が謳いあげられたことは、無論、中国の産業経済や社会の質の向上という目標に合致するものであるという面もありますが、一方で、日本の産業界に対するエールであるようにも聞こえます。

 世界最大規模の市場を持つ中国は、粗放的かつ野蛮な成長から脱しつつあり、安全、安心そして質の高い経済社会の構築に向けて動きだしています。これを機会に、改めて中国との向き合い方を前向きに考えてみてはいかがでしょうか。そこに、日本再生に向けての重要な切り口があるような気がしてなりません。

著者 上場 大 

1955年生。一橋大学卒後、銀行勤務を経てメーカーに転じる。現在中国ビジネス関連のコンサルティングを行う。主な著書に「中国市場に踏みとどまる」(草思社)。日経ビジネスオンラインで「中国羅針盤」を連載。中国とのお付き合いは17年に及ぶ。